柾谷小路と東掘の交差点、弁慶の看板が有名な「中静商店」
私が幼い時は、沼垂方面から信濃川を渡り新潟島(古町)へ行く事を
「新潟に行く」や「新潟へ行く」と言っていた。
同じ新潟市でこんなに近いのに、おかしいですね。
想像ですが、大正3(1914)年に新潟市と沼垂町の合併だと思う。
合併前は当然沼垂から新潟島へ行くときは「新潟に行く」と言っていたのでは?
だから戦後も使っていたのでしょう。
各年代の人に聞くと面白いかも、50代までかな?
勿論、今は使いません(年配の人は今も使うかなー?)
話は戻って中静商店の弁慶。
子供の頃バスに乗り「新潟に行く」 川を渡り柾谷小路へ、
礎町を通過そして目に飛び込んで来るのが弁慶の看板。
(昔は弁慶さんがもっと大きく見えた)
いっそう気持が高ぶる。
何故か?
それは子供にとって嬉し楽しいデパートが近づいたから!
当時の子供にとってデパートは憧れの的でした。
今は?いつ頃デパートへ行ったか、思い出せないくらい行ってないなー。